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この世の大半の人間は「常識人」であり「道徳人」である。
そして自分は、自分がどのように振る舞えば、道徳人達が心地よく感じ、自分を輪の中に受け入れてくれるのかを知っている。
また逆に、どのように振る舞うと道徳人達が自分を忌み嫌い、呪い出すようになるのかも知っている。
自分は基本的に、人と接する時は前者の行動を取る。
そう振る舞う事で、ある種の「居場所」を確保する事ができ、少なからずそれは自分にとって都合がいいと知っているからである。
それらの「居場所」が自分にとって無価値になってしまった時、害を成す存在になった時、自分はどのような行動を取るかわからない。
自分は「常識的」、「道徳的」な行動・考え方を知っていて、それを実行する事ができ、また実際に行使するが、それは常識、道徳を心から「こうあるべきもの」と思い、行動に移している訳ではない。
隣人が常識を、道徳を、この世の真理の様に雄弁に語る時、表面上は同調していたとしても、心中は「何を馬鹿な」と嗤う。
俺にとっちゃ正義も常識も道徳も宗教に等しい。
決して心の底から信じ込んだりはしないし、
都合のいい時に、都合のいい様に利用させて貰うだけ。
こんな風にたまにぶっちゃけるのは最後に残った誠意(だと思う)。


何か壊れてるし非常にキモいので今日はここまで。
『マシンガンをぶっ放せ』を聴く度にこんな事が思い浮かぶわけですよ。
普段からどっかで考えてる事が思い起こされる、って言った方が正確か。あれは名曲だ。


まあ自分はこんな奴です。
少しでもいい奴だとか思っちゃってた人は勘違いしないように改めましょう。
居ないかそんな奴。普段から接してればわかるよな。